日記・コラム・つぶやき

2012年1月29日 (日)

白菜漬け

白菜漬けかとさんと話をしているうちに何となくふつふつと当時漬けた白菜漬の感触がよみがえってきた。「確かにそれに勝るものはないよね!存分に食べられるし、何といってもおいしいもの!」「そりゃそうだ!!安あがりだろ、うまいことにゃあ違いねえしな」「楽しみだね」

ちょうど一週間前のこと、かとさんの家の前を曲がって松並木の細い道に出た時、太い松の根元に、かとさんが漬物用にうまく切ってワサワサ洗って並べてある白菜をその時のこの冬の日差しがうまい具合に水を切ってくれていた。「こうして家でつける白菜は、芯のところが甘くておいしいんだよねー」

かとさんの冬の日に干してあった白菜を見て触発された私は、2,3日かけてようやく白菜のタマを買ってきた。かとさんは2玉買ってきたと言っていたが、私は小さくて身のキュっとしまったようなのを3玉買って漬けてみた。うまい事にいつか使った漬物用のプラスチックの樽がそのままあるのが見つかった。シメシメ・・白菜3個300円と塩代で済んだということか・・

だいぶ水が上がってきたのを確かめて、日曜日の今日水がひたひたに白菜の上までかぶっているのを確認してから全部取り出し、うす塩を振って2度漬けした。それほどには食べられないことだろうから。その前にしょぱ過ぎて誰も食べてくれないかもしれない。かとさんは1度漬けしかしないと言っていた。毎年必ず漬けると言っていたかとさんに思い出したように何十年振りかに漬ける私がどう力んでもかなうはずがない。

かとさんは身体に少しだけ障害を持っていて、言葉もかとさんの気持ちになって聞かないと分かりにくいところがある。身体も不自由なところがあって、腰をひん曲げ、ひざも湾曲している。かとさんの家の前はいつもプランターに花が植えられ、苗の横には灰色の小さな粒の肥料が規則正しく置かれ、その苗たちは必ずや見事に美しい花を開いてくれる。四季折々咲く花はかとさんの愛情に思いっきりの姿で答えてくれる。

戻れない。私はかとさんに負けた。いや、偉大なのはかとさんのお母さんである。畳の部屋はいつもきちんと片づけられきれいに掃除されている。私は子供たちに何を教えてきたのだろう。何を躾けてきたのだろう。何も教えてない。何もしつけてない。何年経たことだろう。亡くなられたかとさんのお母さんが思い出された。偉大なお母さんであったことを今、かとさんが私に教えてくれている。

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2011年3月 8日 (火)

早咲き桜

Dscn0035 寒い時に咲く桜は1ヵ月咲いているって本当ですね。雨に打たれ寒さに打たれ、でも2月3月訪れる人たちを存分に楽しませてくれた早咲き桜。大きな桜の木を見上げていると、20年前いやもっと以前にこの桜の苗をこの地に根付かせてくれた先人達に畏敬の念をいだかずにはいられない。今、この桜の前に立ってこの後20年30年先のビジョンを見出すにはあまりに暗く悲しい出来事が多すぎる。せめて、今を咲き誇る見事なこの桜をこの脳裏に残しておこう。

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2011年2月 8日 (火)

セピア色の母

ゆうべ悲しい夢を見た。母が、それは私の知らない若い頃の母に見えた。古い実家の何となくだだっ広い台所で母はもくもくと食器の洗い物をしていた。下を向いて無言のままひたすら洗っていた。私はその横顔と後姿を見ながらどうしても母に気付いてもらいたくてふゎふゎと母の周りをまわっていた。白いエプロンをして髪を詰め黙って洗い物をしている母は、私に気付かないようなふりをしているようにも見えた。

ふと目が覚めてそれが夢だとわかった時、私はわけもなく悲しくて涙が止まらなかった。

大正3年生まれの母が当時高等女学校を卒業してから二十歳の時に、自身に職を求めた。当時としては女性が職業を持つことはめづらしい時代であったと思う。母は、東京都千代田区神田駿河台の「浜田病院」でのことをよく話してくれた。たまたま散歩していたら「助産婦資格取得生徒募集」の看板を見つけて浜田病院で資格を取ったという。浜田病院は皇族や華族の方々がよくお見えになられ、言葉使いがそれは丁寧で、ある時などそれはおいしい羊羹などごちそうになることもあった、などと懐かしそうに話すことがあった。

東京都文京区本郷での思い出は、楽しい思い出であったに違いない。戦争さえなかったら家族みんなでそこに住んでいたことだろう。兄たちも当時の思い出をまるで昨日のことのように生き生きと語る。

2月5日、母の17回忌を実家の兄が開いてくれた。漕洞院の境内は明るく、満開の梅の花が澄んだ青空に大きく広がっていた。

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2010年3月 5日 (金)

雨上がり

The sky is clear up.
昨日の雨を打ち消すように見事な青空になった。
こんな朝は忙しい。
窓ガラスの汚れがいやに気になる。
でも、磨いた後のさわやかさは、たとえようもなくすがすがしい。
今日のこの青空と同じくらいすがすがしい。
きのう、どしゃ降りの雨の中、
「まったくよく降りやがって・・・雨ばっかり降んねえで札でも降ってくれよ」
とおりががりにつぶやいた人
人生それほど甘いものじゃない

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2010年1月30日 (土)

小室山から見た富士山です

Komuroyama_023伊東市にある小室山は格好のお散歩コースですね。小室山の頂上まで登ってみる夕方の富士は雪に覆われた銀色の富士でした。

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2009年12月14日 (月)

ふたご座流星群

見られましたか?ふたご座流星群の流れ星。
9時ごろ3fのバルコニーに駆け上がってみてましたよ。

つめたーい風がほほに差し込んできて、でも夜空と平行である感じで空を見上げて。
夜空いっぱいの星座がちかちかうごめいていて。

北岳山荘の山小屋から見た星は大きくて、まばゆいくらいにチカチカと輝いて
地上に降り注ぐようだった。

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ふたご座流星群

昨晩も残念でしたね。雲が厚いと懸念していたらそのうち雨が降ってきたんですものね。前後一週間は見ることができるそうですが、13日、14日がピークで観望条件が良ければ1hに20~30個の流れ星が見られると聞きました。

高度150キロからの大気圏で発熱し、そのほとんどが大気中で燃焼してしまうという。流れ星に願い事をすると叶うと聞きました。

こんばんは流星群を見ることができるでしょうか。

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2009年12月 9日 (水)

伊豆下田水仙まつりは12月20日から

Photo季節の神様はとてもせっかちで、紅葉の季節を惜しむ時さえ足早に通り過ぎ、厳寒に咲くはずの水仙の花を送り届けようとしています。

所は伊豆下田、須崎半島の爪木崎です。ここにお届けしているチラシの風景は昨年のイメージですが、毎年同じように群生した水仙がこのように風に揺られながら咲き乱れます。

野水仙の甘い香りがあたり一面に漂うのです。

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西伊豆から見た富士

091206fuji 富士山は時には大きくまた時には小さく、いろいろな姿を見せてくれる驚きに似た魅力があります。南伊豆からマーガレットラインを走行して雲見の部落に入る手前の坂、ほぼ正面に突然ドカーンと現れた雪化粧の富士の姿の意外性に驚きました。

そのまま部落を通り越して松崎町に至る海岸線、そのところどころから海上に浮かぶ富士の姿を見ることができるのです。その日は清水静岡方面の町並みあたりのバックに南アルプスの山の頂が銀色に輝いていたのを見届けました。

お客さまのところへ納品に行った帰り道のことです。

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2009年10月20日 (火)

名城信男 WBA世界スーパーフライ級チャンピオン

書き留めておきたいと思いつつ、ずい分時が流れてしまった。
WBA世界ス-パーフライ級のチャンピオン戦は9月30日、大阪府立体育館第2競技場で行われ、名城信男は2度目の防衛に成功した。対戦相手は同級1位のメキシコのウーゴ・カサレスだった。

その時、何気なく回していたテレビジョンのチャンネルで、偶然「名城信男」を見つけた。以前どこかで出会っていると思った。なんとなく試合の流れに沿ってみていた。右クロス・ストレートが強く左アッパーが得意の名城信男の気迫にあふれる攻撃、それは以前、偶然に見入ってしまったNHKの番組、「名城信男」と重なり合った。

WBA世界スーパーフライ級チャンピオン挑戦試合、2005、04、03、挑戦相手はKOパンチャーチャンピオン、田中聖二だった。その試合で名城は強烈な右ストレートでチャンピオン田中を下し、チャンピオンとなる。試合後、田中は控室まで自力で歩いて行ったが、頭痛を訴えそのまま入院、12日後に惜しくも帰らぬ人となってしまった。

名城はショックのあまり、1ヶ月間部屋に閉じこもり一歩も外に出なかった。トレーナーはボクシングを止めるか否かは「名城自身が答えを出す」と黙って待ち続け、やがて再起した名城とともにトレーニングに入った。

ボクシングの進退の迷いの中、名城の背中を押してくれたのは亡くなった元チャンピオン田中聖二の父の言葉だった。「頑張ってくれ。君が強くなることで田中が報われる・・・」

父親のその一言に励まされ一心に名城はトレーニングに打ち込んだ。名城が引退したら、このまま弱くなってしまったら、そんな名城に負けた田中はどうなるんだ。田中は浮かばれないだろう。強い名城であってこそ田中が浮かばれるんだ。それから名城は、試合中のチャンピオンとしての気迫に満ちた譲らない田中の姿勢を思い起こし2度目のチャンピオン挑戦を果たした。

そして、WBA世界スーパーチャンピオンのチャンピオンベルトは田中の墓前にたむけられた。

090930、テレビ観戦していた私は、2度目のチャンピオン防衛戦に成功したチャンピオン名城信男に心からの拍手を送った。

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